家族を失うつらさを、私たちは知っています。
悲しさだけでなく、どこにも救いのない深い後悔や罪の意識、だれにも言えない苦しさを
一人抱えて長い時間を過ごしたスタッフもいます。
ペットロスという言葉では表しきれない深い深い暗闇。
私たちは、〈真珠葬〉を通してそこに光を見つけることができました。
私たちがみなさまに伝えられること。
〈真珠葬〉を経て、やっと自分が許されたと感じた龍 陽子からのメッセージと
みなさまへ日々のご連絡を差し上げる長 彩野の想いを
綴らせていただきました。
どんな暗闇でも前に進めば、必ず出口がみつかります。
お一人で苦しまれている方に、このメッセージが届くことを願っています。
私は2018年に〈真珠葬〉に出会い、愛犬Didierを預けました。
大好きなDidierに出会った時からこの世での別れ、そしてDidier珠(虹の守珠)に再会するまでの長いお話しですが、私の人生を変えたDidierの話を聞いてください。
龍 陽子
虹の守珠になったDidier
Didier(ディディエ)は、ワイヤーフォックス・テリアの男の子。
2000年3月3日おひな祭りの日に生まれて、2008年12月5日、尿路結石の術後経過が悪くて、8歳9か月でこの世を去った。
私が最初に出会った「Didier」は、1997年製作のフランス映画の中だった。Didierという犬(ラブラドールレトリバー)が、ある日突然、人間に変身してサッカー選手になって活躍するというハートウォーミングコメディ。
お尻の匂いを嗅いで挨拶するDidier、猫アレルギーになるDidier、外国人扱いされるDidier、ハエを食べちゃうDidier、くるくるっと回転して丸まって寝るDidier、褒められて伸びるタイプのDidier。すべてが愛らしいDidier。
私はDidierにすっかり魅了されてしまった。
そして、いつか、犬を家族に迎える時には、絶対に名前はDidierにしようと決めたのだ。
2000年4月21日。私の誕生日。何故か突然、犬を家族にする覚悟が決まった!
(それまでは、一人暮らしだし、働いているから留守番も長くなるし、朝晩の散歩も行かなくちゃいけないし、一人で犬を飼うのは無理だろうなぁとウジウジしていたのだ。)
それから、「私の犬」探しが始まった。
大型犬がいいなぁ。エアデールテリアがいいなぁ。
「大型犬はちからも強いし、体重も重いし、何かあった時、一人でケアするのは大変だよ」
友人からのアドバイスもあり、大型犬は泣く泣く断念。
数日後、欲しい犬種が決まった。平均体重8kg前後の小型犬。
エアデールテリアを小さくしたようなフォルムの
ワイヤーフォックス・テリア!
「タンタンの冒険」の主人公、タンタンの相棒ミルゥ(英語版ではスノーウィ)のモデルと言われている犬種だ。
ミルゥは愛嬌があり、ピンチの時には助けてくれる頼もしい相棒なのだ。
ワイヤーフォックス・テリアは、白、黒、茶の3色の毛色。
ミルゥみたいに白毛が多い子がいいなぁ。
とりあえず、見学のつもりで行ったブリーダーさん宅で出会ったのは、
背中に鞍を乗せているような黒毛の多い子だった。
「毛色なんか関係ない!」
母犬に甘えながら、コロコロと走り回っている「黒毛の多いおチビちゃん」に、
私は心を奪われてしまった。
5月3日、「黒毛の多いおチビちゃん」は、「Didier」になって、我が家にやって来た。
Didierと私の二人暮らしが始まった。
犬の学校に通って、一緒に出掛ける為のマナーを身につけて、週末は必ず犬友達と一緒に車で色々な所へ出掛けた。代官山のカフェや駒沢公園、鎌倉、山中湖、軽井沢や新潟にも。
Didierが一緒だと、何時間でも歩けたし、何をやっても楽しかった。
6歳になったある日、Didierのオシッコと一緒にパラパラパラと砂粒程の石が出てきた。それが最初の結石だった。
病院で教えてもらった処方食に切り替えても、
Didierの体質なのか、尿のPhはアルカリ性になったり酸性になったりで、
ストルバイト結石とシュウ酸カルシウム結石を交互に繰り返し発症した。
体質改善方法の色々な情報を集めた。
市販フードを手作り食にしたり、ホメオパシー等の自然療法や漢方薬も試してみたり。
しばらくは落ち着いていたが、2年程でまた繰り返し発症するようになってしまった。
オシッコが出なくなり、深夜の救急病院へ駆け込んだこともあった。
結石が詰まったときに行うチューブを尿道に差し込む処置は痛々しかった。
Didierは怒りもせず、吠えもせず良い子で我慢していた。
見ている私がいつも泣いてしまっていた。
詰まりが取れれば一安心だけど、結石は消えたわけではない。
膀胱の中に残ったままだ。
いつ詰まってしまうかという心配と恐怖は消えなかった。
それでも、麻酔をかけての手術はなるべく避けたかった。
Didierにとっては、どうすることが一番良い方法なのかと悩んでいた。
2008年12月1日。また詰まってしまった。
場所が悪く、チューブで結石を戻せなかった。
手術以外の選択肢はなかった。術前検査の数値は、心臓、肝臓共に問題無しだった。
病院近くの犬友達宅で「手術無事終了」の連絡を祈りながら待った。
「麻酔から覚めました」
やっと連絡がきた。
Didierに会いに行った。
傷口は塞がれてなく、とても痛々しい姿だった。
絶句だった。
「本当にこれで大丈夫なのか?菌は入ったりしないのか?」
不安な気持ちが頭の中でぐるぐる渦巻いた。
でも、先生を信じて、回復を待つしかなかった。
毎日、会社を早退して、Didierに会いに行った。
Didierが好きなオヤツやゴハンを持って行ったけど、ほとんど食べてくれなかった。
Didierは悲しそうな目で、私を見つめていた。
Didierは日に日に弱っていった。
私にはどうすることも出来なかった。
起きている現実が信じられなかった。
週末は家に連れて帰ろうと思った。何か変化を起こしたかった。
自宅なら、Didierがゴハンを食べてくれるかもしれないと思った。
2008年12月5日。術後4日目は金曜日だった。いつものように会社を早退して、病院へ向かった。
電車の中で電話が鳴った。病院からだった。
「今、Didierくんが息を引き取りました。」
心臓の鼓動が激しくなって、息苦しくて、今にも倒れるかと思った。
一旦電車を降りた記憶はあるが、何を話したのか、何も話さなかったのか、
その時の記憶はまったくない。
「早く、Didierを迎えに行かなくちゃいけない」
と我に返った。
病院に到着した。
Didierは綺麗にしてもらって、可愛い顔で横向きに眠っていた。
顔を近づけて、そぉっと抱きしめた。
「Dくん、ごめんね。そばにいてあげられなくてごめんね。ごめんね。ごめんね。。。」
消毒液の匂いがツンとした。
2018年の夏。Didierが虹の橋へ行ってから約10年が過ぎていた。
友人から「真珠葬やってみない?」と提案があった。
真珠葬って?
ホームページを隅から隅まで、読んでみた。
《愛するペットのご遺骨が、特別な真珠に生まれ変わります》
トップページに書かれていた。
そうやって生まれてきた真珠を〈虹の守珠〉と呼ぶらしい。
真珠って貝の中で勝手にできるものだと思っていた。
核入れ?養生?沖出し?貝の掃除?浜揚げ?
知らないことだらけだった。
真珠が出来上がるまでに1年以上もかかることにビックリした。
出来上がるまでに、人の手で色々な作業をしていることにビックリした。
感動と好奇心で興味を持った。
Didierの遺骨は、納骨する気になれず、家に置いていた。毎朝、Didierに挨拶してから、仕事に向かっていた。
遺骨のそばには、[あの憎たらしい石]も置いていた。
自分への戒めと後悔を忘れない為に。
たまにあの時の消毒液の匂いがリアルに蘇る。
Didierが亡くなって2か月が経った頃から、病院に対する怒りとそんな病院を選んでしまった自分への怒りが激しく湧き上がってきた。
身体中がガタガタ震えるような怒り。
哀しみより怒りだった。怒りが収まると後悔で落ち込んだ。
そして自分を責めた。
これが私の、いわゆる「ペットロス」の症状だった。
「ペットロス」は、哀しみだけではなく、怒りも伴う。
誰にもぶつけようのない感情。
誰も理解してくれるはずがないと決めつけてしまっている感情。
誰にも会いたくない。
誰とも話したくない。
突然、涙が溢れてしまう。
絶対に忘れてはいけない過ち。
自分を許さない為に[あの憎たらしい石]を毎朝見ていた。
遺骨の代わりに[あの憎たらしい石]でも、真珠は出来るのかな?
ふっと思いついて問い合わせてみた。
可能だった!
2018年秋晴れの気持ち良い日に[あの憎たらしい石]を預けた。
2018年11月[あの憎たらしい石]が樹脂でコーティングされた写真が送られてきた。
丸っこくて、綺麗!?
〈虹守核〉なるものに変身した。〈Didier守核〉だ。
他の子と間違われないように一個ずつにICチップが入っている。
個別番号が振られて管理されているのだ。
海洋用の小型版らしい。
Didierの首のあたりに埋め込まれていたICチップと同じようなものだ。
2018年12月
アコヤガイに〈虹守核〉を入れる動画が送られてきた。
特殊な器具で貝のくちを少しだけ開いて、グイっと貝の中に入れられた。
熟練された技。
「核入れ」という作業らしい。
網に入れられたアコヤガイが綺麗な海に沈められる動画も続けて送られてきた。
「Didierくん、行ってらっしゃいー」
真珠葬スタッフの女性が優しい声で見送ってくれていた。
優しくしてもらって、よかったね。
海、苦手だったけど、大丈夫かな。
いつのまにか、[あの憎たらしい石]が、
Didierの分身みたいな気がして、心配している自分がいた。
2019年1月
網の中にポロンと転がっている〈虹守核〉の写真が送られてきた。
アコヤガイから出てしまったらしい。
海の中に落ちないように特殊な網で保護されていた。
行方不明にならなくてよかった。
そして、また、アコヤガイの中へ。
〈Didier守核〉は、なかなかアコヤガイの中に落ち着いてくれなかった。
2週間後、また出てしまっていた。
核入れ出来るのは、1年に2シーズン(初冬と春頃)、それぞれ1か月間くらいしかない。
〈Didier守核〉は、綺麗にお手入れしてもらって、
Didier専用のBOXの中で冬眠しながら、春まで待つことになった。
2019年4月
「お待たせしました。春の核入れを行ないます。」というメッセージが送られてきた。
3度目の挑戦だ。
今度こそ、ふらふら出歩かないで、良い子にね。
願いも空しく、〈Didier守核〉は、なかなか貝の中に落ち着いてくれなかった。
もしかしたら、[あの憎たらしい石]が邪魔しているのかな?
忘れていた憎たらしさを思い出した。
やっぱり、[あの憎たらしい石]は憎たらしい。
2019年7月
「Didierくん、やっと落ち着いてくれましたよ!」というメッセージが送られてきた。
やったー!嬉しい!
このまま、良い子でね。
綺麗な海、気持ちよさそう。
私も一緒に入りたかったよ。
2019年9月
「Didierくんを沖合の海に移動させます」というメッセージが送られてきた。
〈Didier守核〉を抱いているアコヤガイを大きく成長させるためだそうだ。
沖合は栄養豊富らしい。
網目が大きくなった沖用の網に入っているアコヤガイの写真も届いた。
ここで、貝から出ちゃったら、もう救い出してはもらえないよ。
出ちゃだめだよ。
アコヤ母さんのおなかの中で良い子で眠っていてね。
2週間後、アコヤガイをお掃除している動画が送られてきた。
フジツボや海藻が貝の表面にびっしり張り付いている。
このままだと、アコヤガイが呼吸出来なくなるらしい。
〈Didier守核〉は無事に収まっていた。
よかった。
良い子、良い子、おりこうさんだね。
2019年10月
「大きな台風が発生したので、安全な場所に避難させます」というメッセージが送られてきた。
Didierと一緒に眠っている他の子達も、無事でいてね。
時々、Didierが眠っている奈留島の風景写真も送られてきた。
オレンジ色の夕陽、白と水色の可愛い教会、緑の木々、穏やかな蒼い海。
奈留島に行ってみたいな。
どんな〈虹の守珠〉が生まれてくるのかな。
ちゃんと育っているのかな。
〈虹の守珠〉を取り出す時は、どんな気持ちになるのかな。
色々な思いをはせながら、〈Didier守珠〉誕生の日を待った。
2020年3月20日 晴天
待ちに待った日!
〈Didier守珠〉の誕生に立ち会う為、奈留島へ。
動画や写真で見ていた実物の美しい海の景色が広がっていた。
ドキドキとワクワクで落ち着かない。
多賀眞珠に到着。
お世話になった清水社長が出迎えてくれた。
早速、海の上に浮かんでいる小さな小屋へ。
清水社長にご指導いただきながら、先ずは、〈Didier守珠〉が入っている貝のお掃除。
アコヤガイの外についている海藻や貝をナイフのようなもので、こそぎ落とす。
アコヤガイを傷つけてしまいそうで、なかなか力が入れられない。
見かねた清水社長が綺麗にしてくださった。
ICリーダーなる機械で、Didierの番号に間違いないかをチェック。
アコヤガイの上からでもちゃんとわかるのだ。
間違いなくこの中にDidierがいる。
いよいよ誕生だ。
高揚した気持ちとドキドキ。
アコヤガイを手に取り、指先で探す。
なかなか見つけられない。
すでに泣きそう。
見つけた!
指でグイっと押すと、薄いブルーグリーンの〈Didier守珠〉がコロリンと出てきた。
この一瞬にDidierと過ごした日々が一気に浮かんだ。言葉では説明できない、何かよくわからない感情があふれ出す。
全身のちからが抜けた。
泣き笑い。
私の掌の中にいるDidier。
小さくなって、ツルツルになったDidier。
可愛いぃね。
綺麗だね。
「あの憎たらしい石」がこんなに綺麗な真珠に生まれ変わってきてくれた。
これで、Didierに許してもらったのかな。
これで、自分を許していいのかな。
思い出すことが辛くて、あの日の記憶はそのまま止まっていたけれど、
少しだけ前に進めた気がした。
「あの憎たらしい石」がやっと成仏してくれた気がした。
これからも、あの時の胸の痛みが消えることは無いだろう。
でも、Didierと過ごした日々を愛おしい記憶として、
笑って思い出せる気がした。
「あの日」で止まっていた辛いままの記憶が、
Didier守珠の誕生を待っていた約1年5か月の間に、
新しい記憶としていつのまにか、動き出していた。
新しいDidierのストーリー。
おかえり。また会えたね。
薄いブルーグリーンのDidier守珠をそぉっと、そぉっと、撫でた。
Didierの笑い顔が浮かぶ。
新しいDidierの誕生を一緒に泣きながら喜んでくださった
真珠葬スタッフの方々の笑顔が浮かぶ。
ありがとう。
ありがとう。
大切なわが子を知らないところへ送り出す事は、とても心配なことだとお察しします。
お預かりからお届けまで、みんなをずっと見守る係りの私の〈真珠葬〉への思いを綴らせていただきました。
長 彩野
虹の守珠が生まれるまで
「虹の橋へ旅立った子が虹の守珠として帰ってくるまで」真珠葬では、最初にお電話でご連絡をいただき、お話をさせていただくところから始まります。
お骨をお預かりする為にお会いするまでの間、私はいつも「お預かりする子」がどんな子だったのか、どんなパパやママと一緒にいたのかなど、色々なことを想像します。
そしてお会いして「その子」のお写真を見せていただきながらたくさんのお話を聞かせていただくのですが、
いつも私が泣いてしまいます。
色々な場所へお出かけしたり、お薬が苦手だったり、パパの靴下が大好きだったり、
ご近所の猫ちゃんと仲良しだったり…
たくさんのお話を聞きながら、どれだけ「その子」が愛情たっぷりに育てられてきたのかを
聞かせていただくのですが、
その中にこんな方がいらっしゃいました。
若くして突然に亡くなってしまい、全く受け入れることができずに
悲しさのあまり食事を摂ることも外に出ることもできず、
人と会うこともできなくなってしまったそうです。
亡くなった子が飲んでいたお薬の残りを見るだけで涙が溢れてきたり、衣替えした洋服にその子の毛が残っていただけで胸がいっぱいになってしまったり…
そしてそんな状態を人に話すこともできず、ずっと一人で戦っていたそうです。
悲しんでも泣いてもその子が帰ってこないことはわかっているけれど、
それでもどうやっても悲しみや涙を抑えることができなかった、と話してくださいました。
お預かりする時、お骨を用意はしたものの、正直本当に預けるかどうしようか迷われていたそうです。
「今まではお骨を何か形にしようとは思わなかったけれど、もう一回生まれてくるというか、
海やアコヤ貝がお母さんというイメージがすごくハマってお願いしようと決意した」
とおっしゃってくださいました。
お預かりするときは「その子」をどんな思いで預けてくださっているのか、送り出してくださっているのか、
たくさんの言葉をいただくようにしています。
大切な子を一部とはいえ手元から離して遠い知らない場所へ預けることは簡単なことではありません。
お世話をさせていただくからこそ、「その子」がどんな性格だったのか、何が好きだったのか、
少しでも多くのことを知りたいと思いながらお話を聞かせていただいています。
お預かりしたあとは、私がひとつずつ虹守核に作り上げます。
そこからはご家族の方が私に預けてくださった「その子」と私の時間のスタートです。虹守核ができるまでには3日を要します。
お骨と一緒に海洋生物に害のない、海に還っても地球に害のない特別なICチップを
ひとつひとつ樹脂でコーティングしていきます。
お預かりするお骨には色々な形があり、それぞれのお骨の形やバランスを見て、
お預かりしたお骨が一番よく見える場所や安定する場所にそれぞれセットしていきます。
ICチップには個体識別番号があり、世界でただ一つの番号となっています。
このICチップは虹守核の状態ではもちろん、アコヤさんの上からでも、
〈虹の守珠〉となってからでも読み込むことができますので、
途中で迷子になることを防ぐだけでなく、
帰ってきた〈虹の守珠〉が「うちの子」であることをご確認いただけます。
お話を聞いたからか、虹守核を作っていると頭の中はその子のことでいっぱいになります。
「水遊びは好きなのにお風呂は嫌い」とか、「爪切りは絶対にさせてくれなかった」とか、
お伺いした「その子」の生前の様子を想像しながら作っていると、
「その子」との距離が縮まったような気がして嬉しくなります。
色も形も大きさも違うお骨なのに、とても愛おしく感じるのです。
だから、奈留島に行くときは「飛行機に乗るよ、大丈夫かな?」とか
「やっと着いたよ〜」とか、気がつくと話しかけています。
電車に乗って、飛行機に乗って、船に乗って、車に乗って、、と、奈留島までは長旅です。
奈留島に無事に到着したご連絡を差し上げると、ほっとした様子のお返事をいただくことがあります。
だからこそ、お預かりした子や預けてくださったご家族の方が少しでもさみしくない様に、奈留島を少しでも近く感じられるようにと思いながらご連絡をしています。
奈留島では、お天気と水温をみて、虹守核をアコヤさんに託す「核入れ」の準備を行います。日本有数の大玉アコヤ真珠を生み出す真珠職人である多賀眞珠の清水さんが、ひとつずつ手作業で核入れを行います。
核入れとは、アコヤさんに虹守核を納める工程のことで、核入れ予定の約2週間前から準備が始まります。
アコヤさんの準備には清水さんの豊富な経験と知識が必要不可欠です。
真珠葬のために、状態の良いアコヤさんを特別に準備してくれます。
アコヤさんの状態が元気すぎると中に入った虹守核を出してしまう可能性が高くなり、元気がなさすぎるとしっかり虹守核を抱っこしてくれないので、アコヤさんの体力を調節する必要があるのです。
アコヤさんの準備ができると、お天気、水温、貝の様子が一番良い時期に核入れをしていきます。
熟練した職人技で虹守核をアコヤさんに託していくのですが、
重さも大きさも通常の真珠養殖とは異なる虹守核を核入れしていくのは、容易なことではありません。
核入れの際は、動画とアコヤさんの上からICリーダーで読み込み、
その子がちゃんと中にいることを確認できるお写真をお送りします。
虹守核をアコヤさんに託した後、アコヤさんはしばらくの間、波の静かな海で休憩をします。
これを養生といいます。
真珠葬では、専用の養生かごを考案しました。
素材はNASAの火星探査機のエアバックにも使われた、超強力繊維「ベクトラン®」を採用しています。
ベクトラン繊維で5mm程の目の大きさに編まれたネットは、
もしアコヤさんから虹守核が出てしまってもしっかり受け止めてくれる役割があります。
養生の時は、「いってらっしゃい!」、「頑張ってね!」、「ゆっくり休んでね」と言って送り出します。
養生している間は、しっかりアコヤさんに収まったかの確認を定期的に行います。
養生中、アコヤさんから出てしまった虹守核はベクトランケースの中に納まるので、
そこから虹守核を拾い上げ、またアコヤさんに核入れをするということを数回繰り返します。
中にはなかなか納まらない子や、一度納まってもまた出てきてしまう子もいます。
同じ日に同じ環境で同じように核入れをして、同じ場所で養生をしているのに、とても不思議です。
核入れができる時期が限られているので、一回目の核入れで収まらない場合は、
次の核入れの時期になってしまうため、誕生が2回になることがあります。
なんだか申し訳ない気持ちでお伝えすると
「頑固な性格だったので、もしかしたら…とちょっと予想していました。気長に待ちます(笑)」というお返事。
このようなお話を伺うと、お骨になって、虹守核に変身してアコヤさんの中に入ってもなお、
ちゃんと個性や意思があるような気がして不思議な気持ちになると同時に、
生前のその子に触れているような気持ちになり、嬉しくなります。
沖出しは、アコヤさんを成長させるために波の影響の少ない岸近くの筏から、栄養豊富な沖合へ引っ越しをすることをいいます。
沖に出発するときには、ベクトランケースから、網目が3cm程の沖出しネットに引越しをします。
そのため、アコヤさんから虹守核が出てしまうと、ネットで受け止めることが出来ず海に還ってしまうこともあります。
お預かりの間、ほとんどの時間を海で過ごしますが、自然の中でのことなので人の力が及ばないことが多くあります。
奈留島を有する五島列島は魚の種類が豊富で、豊かな漁場としても有名です。
そのため、アコヤさんが少し弱ったりすると魚に攻撃をされ、食べられてしまうこともあります
沖ではアコヤさんの包容力に頼る他ありません。
また、近年五島列島は台風の通り道になることもあります。
海が荒れる時、沖にいる子たちは前もって手前の筏に戻り、波の影響が少ない場所で海が落ち着くのを待ちます。
波でネットが激しく揺れると、アコヤさんが弱ったり虹守核を吐き出してしまったりすることがあるためです。
天候が悪くなるときは万全を期して移動をさせますし、
「どうか無事でいてね、ちゃんとおさまっていてね」と願っています。
台風や雨風で海が荒れたり、雨が続いたりした時には皆様心配されて、たくさんのご連絡をいただきます。
「奈留島の天気が気になって、天気アプリの設定に奈留島を入れちゃいました」という方が何人もいらっしゃって、
遠く離れた、もしかしたらそれまで名前も知らなかったような島のことを心配してくださり、
嬉しい気持ちでいっぱいになります。
ネットが汚れてしまうと、アコヤさんが上手く呼吸ができず、成長を妨げてしまうので、沖出しネットに入っている間、定期的にアコヤさんやネットのお掃除を行います。
アコヤさんのお掃除は、ママやパパがその子を大切にお世話していたように、一つずつ手作業でアコヤさんの周りについた汚れや海藻を丁寧に落としていきます。
「大きくなってね」
「ちゃんとアコヤさんの中に納まっていてくれてありがとう」
「元気に頑張っているね」
手のひらくらいのサイズだったアコヤさんが、
元気に大きくなっているのを見ると中にいる子たちも成長しているようで、
声を掛けずにはいられません。
定期的に行なうお掃除の様子も、みなさまにご連絡をします。
アコヤさんの様子を報告するとその成長を喜んでくださるのがとても嬉しいです。
お掃除をしたアコヤさんは綺麗なネットに入り、また沖へ出発します。
お掃除が終わると、次はお掃除前にアコヤさんたちが入っていた沖だしネットのお掃除です。
沖だしネットは元々8段あったものを、真珠葬のために、半分の4段に作り直しています。
この真珠葬用の沖出しネット、実は手作業で作りあげています。
お掃除の仕方もネットの作り方や直し方も何も知らない私に、
多賀眞珠のお姉さんたちが一つ一つ丁寧に、できるようになるまで教えてくれました。
おかげで、今では最初の3倍くらいのスピードで仕上げることができるようになっています。
ネットのお掃除も、最初は想像していたものよりもとても大変なものでした。
ネットにはアコヤさんたちと同じようにたくさんの海藻やフジツボなどが付いています。
海の中でびっしりとついたそれらは手で剥がすことはできません。
まず真水に漬けて「塩抜き」を1日以上行います。
そのあと天日干しをして、ネットをカラカラに乾かします。
その後、木槌で硬いものを叩いて取り除き、それでも取れなかったものは、
たわしやデッキブラシの先を使ってこすり取っていきます。
そうしてきれいになったネットは、また次に核入れをする子や、お掃除をしてきれいになったアコヤさん達のために使われます。
最初は「お掃除」がこんなに手間のかかるものだとは知らず、腰や腕の痛みと戦いながら掃除をしていました。
正直大変だな、と思うことがたくさんありましたが、それでもきれいにしなくてはと思えたのは、
また次に海や沖に向かう子たちが元気にちゃんと育ってほしい、という気持ちがあったからです。
季節が冬に近付き、お掃除の回数が減ってくると、ご家族の元に戻るカウントダウンも始まります。私がお預かりしている子と過ごす期間も残り僅か。
少しずつ、誕生に向けての準備を進めていきます。
誕生の時期をご案内したり、生まれる予定の個数をご連絡したり…
「浜揚げ」と呼ばれる誕生の時期にはたくさんの方が、
預けてくださった子を奈留島までお迎えにいらしてくださいます。
定期的に連絡をさせていただいていましたが、お会いするのは初めましての方や2回目の方です。
そのため、ホワイトボードにいらっしゃる方のお名前を書いて船の到着を待ちます。
島に来られる前の日にお名前を書き、
空いているスペースにお預かりしている子のイラストを書いたりします。
中には私の絵心では書ききれない子もいますが(笑)、書いているときはお預かりしたときのことやそれまでの経過や様子を思い出して書いています。
「あ!うちの子だ!」と気づいていただけたときはとても嬉しいです!
また、私にとって誕生の前の時間はとても大切な時間です。
1年〜1年半、その子と過ごしたことを振り返る時間でもありますし、お迎えにいらしてくださった方々と、
その子のお話をする時間でもあります。
お預かりのときに「ごめんなさい、まだ最後のときのことはお話できないんです」
と涙ながらに預けてくださった方がおられました。
どんな子だったか、というお話は伺っていましたが、
私も「お話しできない」と聞いていただけに深く伺うことができずに誕生の時まできました。
誕生の前日、「今なら話せる気がします」と泣きながら最後の様子を教えてくださったのです。
「話せないって思っていたけど、ずっと心のどこかで話したい、聞いてほしいって思っていました。
時間が経ったから、明日生まれるから話せます。」とお互いに泣きながら、
その方は預けてくださった子のことを、私はお預かりしている間のことを話しました。
どの方も誕生の前は言葉に表せない緊張でソワソワされています。
まずは、海に浮かぶ小屋に続く木の橋をおそるおそる降りていきます。
小屋を抜けて木で組まれた筏の上に立つと、そこにはずっと再会を待ち望んでいた子が待っています。
足元が不安定なドキドキと、再会のドキドキで緊張がこちらにも伝わってきます。
清水さんが海からネットを引き上げると、まずは名前の確認です。
「あ、本当だ!書いてある。写真と一緒だ!」この時、漸く少し力が抜けるのか、
ネットを見つめながら笑顔を見せてくださいます。
このお掃除は、思っているよりもコツと力が必要です。
貝のお掃除をされるのは初めての方がほとんどです。
恐る恐るアコヤさんにお掃除道具を滑らせながら一つずつ丁寧に汚れをきれいにしていきます。
色々な角度からお掃除をしながら「おっきくなったねー」
「頑張ったねー」と嬉しそうに声をかけられるのです。
海には色々な生き物がいますから、アコヤさんにもたくさんのものが付いています。
最初はもしかしたらそれが苦手で触りたくない方がいらっしゃるかな、
お掃除はこちらでした方がいいかな、と思うこともありました。
でも皆様お伺いすると「もちろんやります!やりたかったんです!」
と嬉しそうにアコヤさんを触ってくれました。
ある方は「ずっと“お世話”をしてあげたかった。亡くなった後、何もしてあげられなかったのが寂しかったの」
と嬉しそうにアコヤさんのお掃除をされていました。
はっとしました。
確かに、毎日ご飯やトイレ、お散歩などたくさんのお世話をして、
触れてきたのに突然それが無くなってしまう寂しさは言葉で表せるものではありません。
お掃除が終わると、ICチップの確認を一つずつ行います。チェック表を見ながら、貝の中にその子がいるか確認をして…
確認が終わるとついに誕生の時です。
誕生の瞬間は言葉で表すのはあまりにも難しく、感情が湧き上がる、溢れ出す、
そんな様子なのですが、みなさま口を揃えておっしゃるのは「おかえり」という言葉です。
生前の毛の色だったり、耳と同じ形だったり、シルエットがその子そのものだったり、
預けてくださった方々が笑ってしまうくらいそこには「その子」が確かにいます。
そして、どの子も個性的で、同じ形は2つとありません。
核入れのときと同じようにメッセージや主張を感じ取れずにはいられません。
その一方で私は、無事に大切な人たちの元へ帰れるという安心感と、
もうこれで卒業してしまう…という寂しさで胸がいっぱいになります。
お迎えの前には、お預かりした時のお預かり用ケースを取り出し、
奈留島のお部屋についていた目印を外します。
それが、とても嬉しくて寂しくて切ないのです。
ある方が卒業にあたり「我が子を留学に行かせているような気分でした。」とおっしゃいました。
「いってらっしゃいと送り出して、会いたくてもすぐに会えない場所にいて、でもその間に色々な連絡がきて、
様子を知ることができて、最後卒業の時にお迎えに行く。きっとあなたは寮母さんね」と…
すごく、すごく嬉しかったです。
悲しみの中で信頼して預けてくださり、少しの間お世話をさせていただけて、一緒の時間を過ごさせていただく。
その子の時間やご家族の思い出の中に少しだけでも真珠葬やお世話の過程が入るなんて、こんな嬉しいことはありません。
いつもお預かりの時に思うことですが、預けてくださる方々やその子と私が出会うきっかけはとても悲しくて辛いことです。
だけど、ご縁がありご家族ともその子とも出会って、とても濃密な時間を過ごすことができます。
生前の姿に直接会えないことは寂しいですが、これも一つのご縁だと思い、大切に向き合わせていただいています。